ベトナム人と日本人
今や世界はすっかり小さくなっていると思うのですが、
それでも、日本で暮らしていると、
実体験として自国以外の人と関わることって
なかなかないですよね。
わたしも実際そうでした。
でも、実際に自分が日本人以外の人と関わってみると、
ああ、世界は本当に広いなと逆に痛感することになりました。
「外国人」なんてひとくくりにすることって、
なんの意味もなくて、
目の前にいる人を、「〇〇人」ってくくることにも
なんの意味もないなあって、私は思うようになりました。
その人のことを知ろうとしたとき、「どこで」生まれて
「どこで」育ったのか、それは確かに大事なその人のルーツだし、
アイデンティティに関わっていることは間違いない。
でも、それがすべてではでない。
人は出会ったものを抽象化して理解して、安心しようとするらしいです。
出会ったものすべてに、興味を持ったり、警戒したり、調査したりは
できないですもんね。
でも、まるで自然界にヒトが把握しきれない多くの種類の生物が溢れているように、
人間だって、今日出会った人は、今までの人生で出会ってきた人と
まったく重ならない人かもしれません。
いつもそういう気持ちで、人と出会っていきたいな、と思います。