ハノイでひとりぐらし

ベトナムのハノイで暮らしています

とある仕事の話

さてさて

ちょっと重い話をば・・・

 

なんてことはない

ふつうの一日のはじまりに

私は解雇されました。

 

まったく納得がいかず

なんの返事もしないまま

「備品を返して帰ってくれ」と言われ

他のスタッフが出勤したところで話は終了。

 

すぐに現場に出ているスタッフへ連絡・挨拶をし

労基署へ。

 

具体的なあれこれはほとんど覚えていません・・・。

特に社長から言われた話の内容は

整合性のつかないことが多く

結局どういうことなのか理解できずにいました。

 

ただ

話の中で

他のスタッフから

私に対するクレームを確認したことや

私が個人的に相談をしていたスタッフが

その相談内容を社長に流していたことを聞かされ

 

自分が排除されようとしているのだということを

強く感じていました。

 

今まで経験したことのなかった

いじめや村八分のような空気。

 

このことがどういうことなのか

労基署の方の言葉で腑に落ちるものがありました。

 

ひとしきり話を聞いてもらったあとに

こう言われたのです。

 

 

「主情的なことだね」

 

 

「次元が低い話ってことだよ」

 

 

要は

あれこれ理由をつけているようだけど

結局追い出したいだけだと。

 

そう思いたくなかったけど

やっぱりそういうことかと

受け入れるしかなかった。

 

 

 

家に戻り

労基署の方に言われたとおり

電話できちんと確認。

 

手続きや書類のこと、引継のこと。

落ち着いて話をしていたけれど

引継のことは慌てた様子で拒まれた。

 

そう長い期間ではなかったけれど

自分のすべてを注いできた仕事。

生活のほとんどが職場にあった。

 

会社のため・これからの担当者のために

残したいこともあったけれど

なんの引継もさせてもらえないまま

私は職場を去った。

 

デスクやロッカーを片づけ

社長に挨拶に行った帰り

ばったり同僚に会った。

 

彼女は泣きながら言った。

「あなたはいつも会社の為に仕事をしてた。」

「どうして辞めなきゃいけないの?」

 

この言葉にどれだけ救われたか。

 

彼女は心を寄せて仕事をしてきた大事な仲間。

彼女がそう思ってくれたことが

まさに私が何かを残してきたということだし

これからもきっと大丈夫だと

安堵したことを覚えています。

 

 

こんな感じで

現在失業中でございます。

 

我ながら重い内容ですが 

それはまだ

自分の中でも消化途中だからだと思います。

 

傷ついた心は

簡単には修復しない。

 

悲しみや怒りや後悔が

いつの間にか襲ってくることも

まだたくさんある。

 

それをエネルギーにしよう!って

思ったり空回りしたりの日々。