ハノイでひとりぐらし

ベトナムのハノイで暮らしています

世界が広がるということ

よく「人の気持ちを理解できる人になりましょう」とかいわれますけど

 

やっぱりむずかしいことですよね。

 

日本人は「和を乱さない」とか「空気を読む」とか

 

大事にしてきたけれど

 

でもそれって個々の多様性を認めるのはすごく難しいことなんですよね。

 

今は「オンリーワン」とか「自分らしく」とかいわれていて

 

こういうことの価値も形も変わってきていると思いますが。

 

 

はたから見たらなんだか態度が大きい人も

 

実際は別の態度で相手への敬意や気遣いを表現しているかもしれない。

 

もしかしたら自分の態度以外の部分を重要視して

 

相手と向き合っているのかもしれない。

 

 

だから、多様性を認めるためには

 

 

「自分がどんな人間なのか」

 

「相手がどんな人間なのか」

 

このことを知ることが必要なんだな、と。

 

 

相手に対する興味や、自分を知ってもらう努力がなければ

 

相互理解はしえない。

 

お互いに仮面をかぶったままの表面だけの関係じゃ

 

いくら話しあっても意味がないに等しいんだろうな。

 

でも、SNSの世界ってこういうことかなと思います。

 

 

みんな匿名で相手のこと知らない

 

でも重なる部分があれば絡める、みたいな。

 

やっぱり面と向かって成立してる関係性とはちょっと違うんですよね、きっと。

 

だから「共感」とか「共有」といったやりとりをするのは

 

すごく都合がよくできてる。

 

 

そして「相談」とか「討論」のようなことは

 

難しいのではないかと思います。

 

こういったことがそもそもの目的ではないでしょうし。

 

 

やっぱり人と人が認め合ってこそ

 

討論や意見交換は意味がある。

 

雲の上に乗って下界をのぞいているような状態で

 

いくら下界について意見交換をしても

 

その雲をさらに上から見ている神様に

 

「なにしてんのかなァ」と呆れられてしまうのでは。

 

 

 

世界が広がるということは

 

実際はとってもむずかしいことなのかもしれませんね。

 

人はそもそも小さな場所で群れを成して

 

ずっと生きてきているのだから

 

当然なのかもしれませんが。

 

 

いろんなことにガタがきてきっと当然。

 

歴史は今も移り変わっている。